日本空手協会について

日本空手協会とは

総本部

公益社団法人日本空手協会は、昭和33年4月10日文部省認可(委社第180号)による空手道公益法人として、国内はもとより世界各国で空手道の普及と指導に当たっております。日本が生んだかけがえのない武道文化を正しい姿で継承発展させるべく、船越義珍先生が取捨選択し体系化された、いわゆる松濤館流の正統派の近代空手道を日本武道の一つとして、国の内外で継承し、普及・発展させることを目的としております。

特に青少年育成に力を入れると共に「武士道精神」や「形」など、日本の精神・文化・伝統を海外に発信するようにと心がけ、世界で最高・最強・最大の空手道実技集団をめざし、一般会員と協会の誇る専任の指導員及び研修生とが、同士として力を合わせて、日夜、稽古に励んでおります。

日本空手協会は「空手道」の開祖である船越義珍先生の精神と技術、そして業績を唯一受け継いだ、故 中山正敏首席師範、現 杉浦初久二首席師範のもと、道場開設以来の業績が高く評価され、1957年4月10日に文部大臣(当時は文部省)より空手道の団体としては、我が国で唯一で、しかも最初の社団法人(現・公益社団法人)として認可を受け、公益法人として全国の会員の方々により構成されています。

又、総本部を中心に地区本部、都道府県本部をおき、それぞれに支部・官公庁・自衛隊・実業団・大学・高校が加盟し、その数は2002年4月1日現在で770を超え、支部・団体からなる最も大きな空手道の技術団体です。

船越義珍 初代首席師範

船越義珍先生

空手道は正真正銘、日本が生んだ伝統ある武道です。その空手道の原点は、松濤 船越義珍先生です。先生こそが唐手術の名称を勇断と信念を持って「空手道」と改称された、文字どおり空手道の開祖です。

  • 明治3年沖縄県那覇市の武士の家に生まれ、身体虚弱の為、唐手術に入門。
  • 大正2年沖縄尚武会長、大正11年文部省主催体育博覧会で初めて唐手術を公開。大変な反響を受け、東京小石川に明正塾道場を開設。
  • 大正11年、「琉球拳法唐手」著。
  • 昭和4年、唐手術を空手道と改名して今日に至る。
  • 昭和11年、空手道教範の著者、同年10月同書天覧の光栄を賜う。
  • 昭和18年、空手道入門の著書。
  • 昭和23年、日本空手道協会設立、最高師範就任昭和29年、全日本総合武道大会において空手界最高功労者として表彰される。
  • 昭和30年3月、日本空手協会四谷道場開設に86歳の高齢で出席された。
  • 昭和32年4月26日、88歳で逝去される。

日本空手協会の活動

日本空手協会が1956年に研修生制度を発足後、今日迄に多くの優れた指導員が育成され、国内はもとより世界各国で活躍をしています。このことが評価され、社団法人を認可された同年1957年10月20日、日本空手協会の全国組織の総力をあげた第一回全国空手道選手権大会を東京体育館で開催しました。空手道の形と組手の試合化は、日本で初めての試みでしたが、超満員の会場で大観衆の声援の中、大成功をおさめました。

全国大会

大会風景

公益社団法人 日本空手協会は、活動の一貫として、毎年全国大会を開催しております。昭和32年10月東京体育館に於いて、第1回全国空手道選手権大会を開催し、初めて空手道の試合化に踏み切り、以後空手道が爆発的な早さで世界中に普及し、第5回大会には。今上陛下(当時皇太子殿下)のご臨席を賜るなど、規模、内容ともにもっとも歴史のある代表的な空手道大会として、今日に至っております。

又、日本空手協会の使命である、全世界に正しい空手道の普及を推進するという目的のもと、世界平和に貢献する為の大会として、3年毎に世界各地で松涛杯争奪世界空手道選手権大会が開催されており、世界115ヶ国が公益社団法人 日本空手協会世界連盟に加盟し、国や言葉や宗教の違いを乗り越えて、信頼・友情を深めつつ、世界で最高・最大かつ最強をめざし、平成13年に完成した新総本部道場のもと、日々努力、活動をしています。

世界大会

世界大会は、偉大な船越先生の教えに基づき、全世界に空手道の正しい普及を推進し、世界平和に貢献するための大会であります。世界中の115カ国が公益社団法人 日本空手協会に加盟しており、3年毎に世界各地で開催されております。

この大会は世界最大であり、世界最高の技術の選手達が各国から集い、日本国内からも、各県より選抜された選手の中から最強の選手を選び抜いて、日本国の代表選手として参加し活躍しております。

国の違い、言葉の不通等を超え、全世界から駆けつけてきた各国の役員、選手達は何れも、松濤 船越先生の教えを受け継いできた代表者達です。